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花ニラ

2022年09月09日

食用花ニラです。
スーチカーと花ニラナムル、椎茸バター焼きが夕食でした。
(花ニラ、もやしを軽くゆで、ニンニクとごま油、すりごま、塩こしょうで和えます。
スーチカーは5日前から、ぬちまーすで塩漬け済み、薄く切ってレモン添えでいただきました)

花ニラ

花ニラ

お気に入りの店は、閉店してしまい、あれ以来見つけることはできなかったのですが、
うるま市で再会しました♡

食用、園芸用ともに花韮(はなにら)の花言葉でしょうか。
「悲しい別れ」「耐える愛」「卑劣」「恨み」という花言葉がいています。
葉を傷つけるとニラに似た強い臭いがすることからつけられたらしいのです。

ハナニラの名前の由来は、ハナニラの葉がニラに似ていることや、葉や茎の部分に傷をつけると、ニラのような匂いがすることから。。

別名である「ベツレヘムの星」は、ハナニラの花姿が同じ別名を持つ甘菜(アマナ)と似ていることからつけられた。キリストの誕生(星の出現)に霊感を受けて、東方の三賢者の話があるのですね。意外!!


昨年、植えた苗(パッションフルーツ、初収穫は7個ほど?)も、花言葉を調べてみてびっくり。
「聖なる愛」「信じる心」そして、「キリストの受難」らしいのでした。。
花ニラ

花ニラ
当方、宗教は詳しくありません。勧誘はすごかったですけど、気まぐれをみせ、相手は諦めていきます。
反応することを調べている状況です。

受難を回避できたらいいですね。
備えることはできても、心残りはあるでしょう。
私もそうですよ。

家族のことも
生活のことも
経済も
週末にくる台風は選挙への警告ですかね。
沖縄にとって、今を回避できる選択はどれなんでしょう。
(追記2022.9.13 当選速報後、地震で合図されましたね。県民はそれを選択したのです)
韓国では、「白菜」の値段が1.600円!高くて売れずに、店頭で腐れかけていくと。。
これからの苦難は、様々な場面でじわりとくるのでしょう。
信じられないことが、真実であり、
それを受け入れ、どう乗り越えていくのか、
ほんとに、心身ともに強く優しく覚悟して乗り越えましょう。



花ニラ
9月10日魚座の満月。
日々の祈りや瞑想のひと月間のまとめるような日ですね。
気づきや懺悔、後悔が反省で成長する日なのです。
手放すモノ(物質、感情等)、抱えてきた不要なものを降ろし、
自身にも、関わってきた人にも心や魂の傷を修復するにはもってこいの日なのです。
守護霊は私達のことをよく見守っていますから、
礼儀作法より、今にあった私達の思考や個の生き方として支援してくれます。

環境も違う、職種も違う、抱えている不安、心配、悩みもそれなりに発生しようが、
神様ではなく、宇宙でもなく、守護霊が一番先に見守り、導きにあたるのではないかと思います。

命綱をつけずに、宇宙へ飛び出すわけにはいきません。
この世に肉体を持って生れてきたことは、地に足をつけ、守護霊が支えてくれる人間としての生活や
魂の修行も人生のドラマも楽しみながら、最後には「審判」が待ち受け、死後の行先が決まってしまうようです。

実際、昨年亡くなった母は、守護霊の導きをお願いして訪ねてみたところ、案の定淋しいところに一人で待っていました。
神人といわれながらも、この世の尺度と間違った祀りをしていたかもしれません。
たかみを目指すことを諦めてしまったことと、それで私にすがろうとしていることも自ら悟り、反省もあったことはいうまでもありません。

家族にすがらず、子孫のためにも生きているうちに、そして最期を迎える本人、家族の意識も大切なのです。
守護霊の計らいとも思えたのですが、母の姿が変り、のどかな土地の「家」に引き上げられました。感謝。
あの世でも、魂の学びは続くのでしょう、墜ちたところから這い上がらなくてはいけません。
人間の意志や神々の意図を、高次の存在はギリギリまで見守っているのではないでしょうか。

母は転ばぬ先の杖を床の間に飾っていました。
日本神道をやめても、そういうグッズは手放さずにいたようです。
亡くなった父といえば、法事がキリストにちなむ日に重なり、兄弟姉妹で不思議だと話題がでましたね。

どちらも家族にとって「意識」を向け、ご加護をいただくことを教えてくれたきっかけになりました。
クロスの繋がりと解釈。縦の宇宙(意識)との自分を繋ぐこと、横の地球(意識)と繋ぐこと、
これは、しっかり正しいところと繋がったか、確認は必要だと思います。闇墜ちしませんように。
負けませんように。。

それは、守護霊を通して行うことであり、他人任せではないこと、つまり、自助努力と動機、心境が影響します。
生きずらさ・・・宇宙由来の魂は、それに気づかないと苦労、苦難にまけ、魂の目的を見失ってしまいます。
守護霊が目を閉ざすような行為をしませんように。

よく聞く言葉になりました。
「眠ったままか、目覚めか、二度寝か」
たたき起こすこともできず、説明もうまくできず、、、自分で学び、感じ取り、歩んでいきましょう。
これって、子育てと同じですね。
「親」は心配してみているのと同じです。



Posted by kiyoko at 11:21│Comments(0)
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