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首里観音堂

2019年08月07日

那覇市 首里観音堂

〈首里観音堂HPより〉
正式の寺号は「慈眼院」(じげんいん)といい、臨済宗妙心寺派に属する寺院です。
通称、首里観音堂とも呼ばれています。

寺院の創立縁起は、琉球王朝時代、佐敷王子(のち尚豊王)が
人質として薩摩に連れて行かれた際、父・尚久王は息子が無事帰国できたら首里の地に
「観音堂」(観音様をお祀るお堂)を建てることを誓願されました。
その後、無事帰郷したので、1618年、首里の萬歳嶺という丘(高台)に
観音堂を建て、その南に、慈眼院を建立しました。
 
1645年より毎年、琉球王国国王が国の安全を祈願・参拝するようになりました。
また、当時、琉球王国は貿易(航海)が国の中心であり、
首里の萬歳嶺という丘からは視界が開け、
那覇の町・港・海・空を一望でき、渡航の安全・国の安全を祈願するのに最良な地でした。

   
その地に、すべての人を守り、すべての人を救い、願いを叶える
千手観音菩薩像をお祀りし、国王はすべての祈願をしておりました。
 
上り口説:琉歌(ぬぶぃくどぅち)に
「旅ぬ出立観音堂、千手観音伏し拝でぃ・・・」
(たびむいじたちかんぬんどう、しんてぃかんぬんふしうがみでぃ・・・)と謡われております。
 
今日でも、県内各地より善男善女が家内安全、交通安全、旅行安全、健康祈願で参拝する。
 
*沖縄随一の観音信仰の聖地となっている。
*御本尊様は「千手観音菩薩」。
*なお、慈眼院という寺院名は「観音経」という経典の「慈眼慈衆生 福海無量」という一説から来ている。
*萬歳嶺という丘の名は、「この地が名勝であり、王の万歳を唱える義である」という語から付いた。




「首里観音堂」へのメッセージをいただいたので、上記はHPより転載です。
菩薩は西洋でいえば、天使と聞きます。
最近は、瀬織津姫はマグダリアのマリアなどと、聖人の呼び方が国によって違うとか
言いますが、そこは未確認です。前世からの影響で入信もカタチを変えるかもしれませんね。

上記に、すべての人を守り、すべての人を救い、願いを叶えるとありますね。
願いが叶うためには、自らの努力や魂の磨きも要件になることにも
気付かせてくれる、首里観音堂境内の独特の空気があります。


「願い」「願掛け」はしない人がいます。
ただし、守るためには念をこめ祈るらしいのです。
先日のTV映画「白雪姫」をみたら、その時の感想を述べてました。
「魔法を使った代償」
願いを聞き入れた「方」は誰なのでしょう。
闇の存在か、光の存在か。。
カード、水晶などで占うことは「元となる存在」が入れ替わる
こともあるという。その心境(稼ぎたい、誰よりも一番になる)で。。

人それぞれ、重荷を背負い、その中から不要なものとして処理しつつ、
感謝しつつ、人生の場面を乗り越えてこられる仕組みがあるようです。
各々、違う人生を歩みながらも、個々を生きる、生きられるように
いくつかのターニングポイントが設定されており、
その機会を活かされることを神様は願っているのでしょう。
願い事ばかり頼まれる神様にとって、
親神として、私達人間がどのように生きているか
いつも寄り添い、見守っています。
そのことに感謝を忘れません。


前世の癖は誰でも残っており、病気で早死にした人は、
健康的な生活をしたことで、その早死にを今世は健康で長寿と
なることが可能になったとか、
前世で人を傷つけた人は、反対の人生を歩むことで
魂の気づきを得られる仕組みになっているそうです。


読者さんから、首里観音堂のことがでましたので、思いだしたことを書きます。
私は、ユ○さん、神○さん達の解説や指導に疑問をもちはじめ、
ここ何年も、神社仏閣から遠のいています。
数ヶ月前に、波の上宮に参拝してみようと訪ねたら、
そこは、中国ではないかと思うくらい一変してました(笑)


あの頃は、カミンチュの数人から「ビンシー」を準備するようにと言われ
師を変え、沖縄式の御挨拶や拝みをしたことがあります。
(もちろん、その方々はなんでかねぇ?と試行錯誤をしてました。どこと繋がるか、
じゃ、あっちなのかと場所を変えてまで、師匠になりたかった人達です。
そういうことではないと確信し、私は地のことを終え、天のことを思うようになります。

やっと気がついたのが、肉体と魂、その出自、地と天、霊系、霊的真理でした。
「気」の修正と魂の軌道をみつめています。
それぞれ相性の良い人間、神様はあるようで、
神社仏閣では、そこを訪ねて「心落ち着く」気配を大事にするようにとのことです。

道具でもなく、場所でもなく、大事なことは自身の魂のピュアさ、
与えたり、シェアしたり、あるいは悪をはじきとばしたりするのではないかと思います。



首里観音堂でみた光景なのですが(20年ほど経ちます)
祈り人もしくは、拝み人らしき方が、依頼者の家族と
なにやら観音様を通して通訳しておりました。

もちろん、そこには沖縄独特のお供え物と線香が
セットにされています。
家族の様子ですが、妻らしき人はその方の話を漏らすまいと
真剣に耳を傾け、夫らしき人は少し離れたところから
腕を組み、他人事のようにそのやり取りを伺っているようでした。


皆さんなら、この光景から何を感じますか?





首里観音堂




Posted by kiyoko at 06:42│Comments(0)
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