
「母の日」
2018年05月13日

自分の胸に閃いたり、ピンとくる情報であれば、関係なくそれがカタチを変え、活かされる行動のきっかけになる。
また、受けた他人の言葉にしても、胸に響くものであれば幸いである。
相手が子どもであろうと、名誉や肩書きを持つ人であろうと、無職や同情するような生い立ちであろうと、そんなことは誰も聞きたくないし、細工はいらない。それを問われる世間から、すでに離れているのであれば幸いである。
どう感じるのか、そのキーポイントが大事。
外側へ、外側へと幸せや奇跡を求めて、一番大事なメッセージを理解せず、後付けしたり、まわりくどいことを言ったりして誤魔化すのは、闇の思う壺。
他人と自分は違うのであるからね。
「足元から・・」よくいわれたものだった。
「母の日」・・私が祈ったことが母の「夢」の中にでた。私が来るのを待ち受け、夢の話を一部始終話していた母。
それを聞きながら、溢れる私の涙。
それを理解できるか、ここからは母次第だから。。ホームから帰りたいと言いだしている。
シルバーコードが切れない前に、光に入れるよう願っている。
誰もいなくなった実家の掃除を感謝をこめ、祈りながら片付けている。
垢や埃にまみれたモノ、漂うそこに落ちたエネルギーを一掃している。
「母」を超えて、「母」という存在のエネルギーをはじめて感じた。
下から沸き上がるバイブレーション、上から降りてくる心地良いバイブレーション。
それが胸の中から二重、三重の光の発光となって伝わるこのエネルギー。
「足元から・・」 それはみんな違う日常の中で、気付いていくものだから・・
闇の中から光は良く見える。
見えるだけで、光の中にはいない。
Posted by kiyoko at 09:31│Comments(0)
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